2016年11月30日水曜日

11月28日の知事への直訴状より抜粋


11月28日、知事への直訴状の一部を、書いた方の了承を得たうえで抜粋掲載します。
 

 
◆原発事故があったから、母子避難をしています。

私達家族にとっての5年間は原発事故がなかったら、間違いなく変わっていたと思います。

201111月に授かった子は、夫と一度も一緒に生活したことはありません。
子供達は、夫が帰る度に号泣し、帰ったばかりの夫が次はいつ来るか聞きます。

そして、決まって、週末が近づくと、お父さんは来るか、来ないのか尋ね…来ないと知ると落胆します。

 好きで避難しているのにって私達が避難していることを良く思わない方は言います。
ですが…私達は子供を守りたいのです。子供の健康なしに、何故に汚染されている福島に戻れるでしょうか?

 少しでも不安な気持ちを抱えている私達を、知事は助けてはくれないのでしょうか?

 私達には何の補償もなく、唯一あった住宅までも奪うのですか?

あれから五年がたち、こちらで確立した生活もあります。

 上の娘は小学校に通い友達もいます。震災後に知らない土地で、お父さんもいない、友達がなかなかできない生活をまた、させなくてはいけないのでしょうか?

1人でも多くの県民をどうかお守り下さい。住宅無償提供を引き続きお願いします

 
◆深冷の候、常日頃県民の為にご尽力いただきありがとうございます。

原発事故避難者に対する住宅の無償提供継続をお願いいたします。

私自身も原発事故のあった201112月から約2年間、県外に母子避難しておりました。

それも住宅の無料措置があったからこそ、2年も避難できていたのです。それでも福島と避難先での二重にかかる生活費が家計に与える影響はとても大きく、貯金を崩しながらの生活でした。

私が福島に帰還したのは、先が見えない中での母子避難生活に金銭的にも心理的にも厳しくなった事、そして子供の入園のタイミングが重なったからでした。放射性物質の影響を考えると、もっと避難していたかったのですが無理でした。そして、帰還した今でも、放射性物質からの被害をなるべく受けないように、なるべく西日本産のものを買うようにしたり、食べ物などとても気を使って生活しています。

健康被害への懸念があり、この5年間を県外で踏ん張って避難している方への命綱である、住宅無料措置を絶たないでください。

この声はほんの一部であり、生活に手一杯で声を出せない方や、自分の仕事上での立場を気にして声に出せない方等潜在数が多くいると思います。どうか勇気を振り絞って出したこの声をどうか無視しないでください。

師走に向けて何かとご多忙のことと存じますが、今後共ご支援ご厚情を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。

 
◆南相馬から東京に避難してきています。解除になったものの、未だに線量が高いところもあり恐くて帰れません。

家のローンもまだまだ残っているし二重生活をしている状態です。もう少し私たちのこの状況を把握して、
住宅の打ち切りをやめてください。

◆震災後、家族全員東京に生活を移しております。現在は年収も少なくなり民間の住宅は高くて、今の収入では無理かと思います。
どうか、現状に応じて都営等の住宅をお願いいたします。
夫は脳梗塞になったこともあり、娘は結婚も震災後駄目になったこともあったり、避難中の交通事故で仕事が思うようにできません。
今の生活が不安で、福島に戻り、再出発する気力がなくなってます。
 
◆知事、寄り添うというのなら、私たちの声を聞かず無視しないでください。
住宅が打ち切りになると、高校生の息子が学校へ通えなくなります。
避難生活で築いた避難先でのコミュニティや友達のつながりを切らないでください。

本当に帰る時期になったら福島に帰りますが、要望を聞いてもらいたいです。
私たちは復興の邪魔をしているつもりはないのです。原発で人生が狂ってしまったのです。